ブログを始めて10年…古町はどう変わったか?そして10年後は?

ブログで情報発信することで、古町をなんとか今の状態で維持できたら…そんなことを考えていた。10年が過ぎ、街はどうなっただろう?

このブログ「新潟シモ古町 ときどき脳内マレー半島」を始めて、ちょうど10年となった。新潟古町のいわゆる「シモ」寄りに暮らし始めたのをきっかけに始めたのだが、自分でもよく続いていると思う。
◇あらためて、ブログデビュー – 新潟シモフルのおんぼろビルに暮らす
2005年11月21日 00:22
http://yaplog.jp/furumachi/archive/63

当時「渋谷経済新聞」など各地のローカルネタに特化したサイト「みんなの経済新聞」が始まった頃で、古町もネットで情報発信が必要では?と思ったのがもともとのきっかけだった。まだそれなりに活気があって雰囲気のあるこの街並みが、空き地や空き家だらけになってしまわないように…という思いもあった。

でも実際には「みん経」のような取材力があるわけでもなく、メディアにはほど遠く、一個人の日記レベルのブログとなっているのは見ての通り。アクセス数を改めて見ても、最近は月に1万件に行くかどうか。ここ数年はすっかり東南アジアブログになっていると言われたり…(タイトルまで変えてしまった)。

この10年で古町は変わった。大和デパートやWITHはなくなり、ラフォーレ原宿ももうすぐ閉店しようとしている。歩行者数もかなり減ってしまった。その割に特に8・9番町の飲み屋街は、空き地空き家化することもなく、この独特の街並みと雰囲気が維持できているのには安心している。何かと便利で、住みやすい街であるのも変わりはない。

ではこの先10年後はどうなっているか。すっかり買い物の中心地でなくなった古町の存在意義が問われている。全国的に人口減少傾向が続き、国や地方自治体の財政も苦しくなっていく中で、古町にじゃぶじゃぶと補助金をつぎ込むのがいいことなのか…と言われると苦しいところだ。

でも思う。東京から新幹線で2時間ほどで行けてしまう新潟市や仙台市は、どんなに頑張っても、世界的に見たら東京のサテライト都市でしかない。そんな街がそれなりの存在感を出して、世界から観光客に来てもらうには…? そのカギは「ミニ東京」の駅前や万代ではなく、古町にあるんじゃないかと。

新潟空港には中国ハルビンからの直行便が、一時は毎日飛んでいた。中国人観光客というと「爆買い」が期待されがちだが、新潟空港は帰国でなく入国で使われるケースが多く、最初の宿泊地が新潟市の街なかとなっているようだ。そうなるといきなり入国早々爆買いするより「爆食い」の方が期待値は高い。

食については新潟市、特に古町界隈は得意分野だ。美味しいものが食べられる街は、間違いなく好印象となる。さらに古町8・9番町は近年「花街」として再認識されつつある。インバウンドが当たり前になる時代を迎え、花街建築と小路が残り、美味しいものが食べられる古町が、新潟市の存在感アップに大きく貢献するかもしれない。

そんなことを思いながら、このブログをまだまだ続けていこうと思う。自分の興味の赴くままに、東南アジアのことなどにも触れながら。10年後、古町がどう変わっているか。そして僕自身もどう変わっているか。またタイトルが変わっているかもねー。

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ブログを始めて10年…古町はどう変わったか?そして10年後は?」への1件のフィードバック

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