そわそわ、ぞわぞわ、じりじり…。昨年までこの日が来るとよみがえっていた感覚が、今年はすーっと消えていた。これが忘れてしまうということなのか。
東日本大震災から、きのうでちょうど4年。ちょうど営業先で午後2時46分を迎え、みんなで黙祷をした。多くの人が犠牲になったこと、復興が進みつつあること、まだ思うように復興が進んでいないこと…。忘れてはいけない。
でも人間は忘れていく生き物。震災を思い出すたびに襲われていた「そわそわ、ぞわぞわ、じりじり」した感覚、無力感というか自己嫌悪というか、そんな気持ちがここ最近は感じなくなっている。この気持ちについては2年目の日に書いていた。
『津波は、実家までは来ていないと信じたい。でも停電はしているだろうし、もしかしたらガラス窓も割れているかもしれない。寒いだろうに、どうやって夜を過ごしているだろう。僕らはこんなに温かい部屋にいていいのだろうか。地震の翌日はちょうど土曜日。行こうと思えば行ける。行かなくていいのか?
でも僕らが行けば、もれなく子どもたちもついてくる。道だってまともに通じているか分からないのに、子連れで行けるのか? 行ったところで邪魔になるだけでは? ガソリン不足も伝えられるなか、クルマで行ってガソリンは足りるのか? そわそわ、ぞわぞわ、じりじり…。』
◇2年前の忘れられない感情 – 新潟シモフルのおんぼろビルに暮らす|yaplog!(ヤプログ!)byGMO
http://yaplog.jp/furumachi/archive/1591
妻の実家は幸い津波の被害はなく、今では実家にいる限りは震災があったことも忘れるくらい、平穏に過ごしている。でもクルマでほんの10分ほどの海沿いの集落は、100軒ほどあった家並みが今は何もない更地のままになっている。
忘れることなどできない。この集落で暮らしていた人たちのことを思うと、胸が締め付けられる。ただ、妻の実家に関しては、もう当時の無力感や自己嫌悪に苛まれる必要がないくらい、平穏な暮らしを取り戻している。だから感情がだんだん薄れてしまったのだと思う。
つらい思いをした人々も、どうか少しずつでも平穏な暮らしが取り戻せるように…祈るほかない。