新発田の街をうつろに歩く

春から営業で担当することになって、一度は新発田の街をゆっくり歩いてみたいと思っていた。でもこんなカタチで実現するなんて…。青空だけど、気分は晴れない。

村上ほど街を挙げて街歩きを推進している感じはしないけど、新発田も歩いてみると実に魅力的な街だ。かつてのお屋敷だった「石泉荘」から流れ出て、名勝・清水園や歴史あるお寺の脇を通り、街なかをくねくねと流れる新発田川沿いの街並みは、特に気に入っている。つい先日、ぶらりと歩く機会を得た。

「県内一長いシャッター街」と言われる新発田の商店街は、たしかに空き店舗が多いけど風情あるお店も健在だ。小路から裏道に入ると、住む人働く人の息づかいが感じられるような街並みが続く。川の上に架かる市場の建物があったり、屋敷から川辺に続く階段があったり、水辺が身近な存在になっている。

新発田の街を2時間ほど歩いたけど、実は気分はうつろだった。この日、新発田に来たのは、街歩きより大事な目的があった。高校時代の同級生で部活も一緒だった仲間が、不慮の事故で亡くなったとの報を受けて、実家へ駆けつけたのだった。あまりのことに言葉も出ない。「なんで?」と言うしか…。

その日の夜と翌日のお通夜の後、同じ部活の仲間で集まった。みんなで飲んでいると「あいつだったらこう言っただろう」「あんなこと言ってたこともあったよね」と、楽しい思い出話ばかり。亡くなった仲間もまるで一緒にいるみたい。でもみんなと別れると、現実感がなくてふわふわした感覚が続いている。

お通夜で読経したお坊さんが、いいことを言っていた。「人は亡くなるとどこへ行くのか。消えてしまうというのでは残された人はたまらない。だから様々な宗教が死後の世界を唱えてきた。では実際にはどうなのか。実際には亡くなった人は、親しかった人々の中で思い出として生き続けるのではないか」

そう、その通りだと思う。何しろ付き合いは長い。しかも一番おバカでいられた学生時代の仲間だ。笑えるエピソードには事欠かない。これからもみんなで思い出を共有し合って、笑い合って、彼を生かし続けようじゃないの。…やっとそんな心境になってきたところである。

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